月別アーカイブ: 2016年8月

ボスニア・ヘルツェゴビナ_サラエボ

3月27日、モスタルからサラエボまでは電車で行ってみようと思ったものの、冬季運休ということで駅自体が開いていなかった。
サマータイムは始まっているのに・・・

ここの旧市街も新しい。
ツアー客もいっぱい。
木造の建物や折りたたみ縁側、日本に似たところもあり懐かしい気分になる。

旧市街からほど近く、第一次世界大戦のきっかけとなったオーストラリア皇太子暗殺事件のあったラテン橋もある。
自分がその橋を渡ることがあろうとは露にも思っていなかったよ。

料理はトルコの影響を多大に受けていて美味しい。
エスニックなスパイスの利いたハンバーグのようなソーセーチのような、チェバプチチ。
肉や野菜、チーズをパイ生地でくるんで細長くしたものをまいたブレック。
ドリンクは甘くないヨーグルトで気分を盛り上げる。
食後に外せないのは、ボスニアコーヒー。
容器が可愛い。
旧市街では容器を売るお店もいくつかあって、作っているところも見られる。

サラエボ食

旧市街を出るとすぐに新市街。
新しいショッピングモールも複数ある。
お洒落カフェなんかもあって、「女子は絶対好きと思う」と他の旅行者に教えてもらったGoldfish(KAPTOL5)に行ってみた。
アンティーク調の細々したかわいい雑貨がごちゃごちゃしていてすごく雰囲気のあるカフェ。

スナイパー通りを歩いてみる。
紛争時、セルビア兵が高い建物の上から動く者すべて、老人も子供も、狙って、撃たれるというたくさんの死者を出した通り。
大学があった。
今通っている学生は紛争の後、生まれてきた子たちかな。
壁に残る銃弾の跡をどんなふうに見ているのだろう。

サラエボに限らずこの辺の国全部にいえることなんだけど、飲食店が喫煙OKで喫煙者が多いのが玉にキズ。
と、東洋人差別。
そうだ、結構ヤダったなぁ。

ボスニア・ヘルツェゴビナ_モスタル

ボスニア・ヘルツェゴビナ

計画性のない非効率なルートの可視化・・・

クロアチアのドブロブニクからモスタル、サラエボへ。
ビシェグラードからセルビアに抜け、コソボ、モンテネグロをまわって再びサラエボ。
ヤイツェからバニャ・ルカを通ってクロアチアに行くつもりだったけど、忘れ物したのに気づいてサラエボに戻る。
サラエボからダイレクトにクロアチアのザクレブへ。

モスタル、サラエボでは日本人ツアー客も見かけたけど、ビシェグラードとヤイツェでは日本人には会わなかった。
どころか、外国人観光客自体少なかった。

モスタル

モスタル

オスマントルコ、すごかったんだなぁ、と思う。
ヨーロッパなのにオリエンタル色の濃さにビックリ。
お土産や食べ物もトルコ風。
世界遺産に登録されているスターリ・モスト橋も元はオスマントルコ朝に建設されたもの。
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中に破壊され、復元。
この界隈は完全に観光化。
新しい旧市街。
だけど、よくみると建物の壁には銃弾の跡が残る。
街中にも銃弾でボロボロの壁や廃墟が多く残る。

 

他の旧ユーゴ諸国に比べて、ボスニア・ヘルツェゴビナは紛争の跡を残した廃墟が多い。
その中でも、モスタルは特に。
最初はこの悲劇が忘れられないように残しているのかな、と思っていた。
それにしては多い。
多分、その家の人たちはみんな殺されたか、国外に逃亡したままで、どうすることも出来ない家たちじゃないのかな。

クロアチア_2

ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、コソボ、モンテネグロをまわってクロアチアに戻る。

ザグレブ
おすすめ観光スポット。
失恋博物館、世界中の失恋した人の記念品をかき集めた博物館。
それぞれの云くが書かれた説明書は日本語版もあり。
ミロゴイ墓地、まるでガーデニングショーのように工夫を凝らしたお墓がたくさん並んでいて圧巻。
聖マルコ教会、可愛い。
あの屋根の可愛さは一体なんなんだ。

聖マルコ教会

スルニ
プリトビッツェ 湖群国立公園(世界遺産)の拠点として、スルニ宿泊。
スルニには家々の間を小川が流れる可愛らしい「ラストケ村」がある。

 

プリトビッツェ湖群国立公園
たいして期待せずに行ったが、死ぬまでに一度は行きたい公園に認定しようと思うくらいよかった。
もう笑うしかない、というくらいたくさん滝がある。
うじゃうじゃと滝がある。
マイナスイオンの浴びすぎってあるのかなと心配になるくらい滝がある。

湖

 

 

<クロアチア10日間にかかった費用>

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宿泊費の1日平均は1500円。
宿泊はスルニ(2泊)以外はドミトリーで、夕食は自炊が多かった。
長距離移動はすべてバス。
物価はスロベニアに次いで2番目に高かったけど、それでも西欧諸国に比べたら安い。

クロアチア_1

イタリアのバーリからドブロブニクに入りたかったのだけど、冬季運休中だったのでアンコーナからスプリトへ。
この辺の旅行シーズンが始まるのは4月からみたいで、3月中は中欧に入ってからも鉄道が動いていなかったりがっかりすることもあった。

クロアチア

スプリト
首都ザグレブに次ぐ第2の都市。
4世紀にディオクレティアヌス帝が建てた宮殿跡地に、7世紀頃から市民が住み始めたため、古代と中世の建物が入り交じる珍しい街。
世界遺産にも登録されている。
旧市街には見所も多く、細い小道やお土産物屋さん、歩いているだけで雰囲気を楽しめる。
エジプト遠征の時にルクソールから持ち帰ったスフィンクスが置いてあったり。

あ、間違った。

でも、一番気に入ったのは、海辺のプロムナード。

スプリト

クロアチア到着後すぐ、海辺のカフェのテラス席って・・・と、ちょっとためらいつつもカプチーノとチョコクロワッサンを頼んだ。
320円だった。
ヤシの木が立ち並び、海風がそよぐ気持ちのよいカフェで、気軽に美味しいとパンとコーヒーが頂ける街の居心地が悪いわけがない。

 

ドブロブニク

ドブロブニク

ここは長い間すごく行きたいと思っていた。
「紅の豚」「魔女の宅急便」のモデルにもなったといわれ、蒼い蒼いアドリアナ海に突き出た旧市街(世界遺産)の眺めがすばらしい。
来てよかったと心の底から思った。

ドブロブニク・パス(150kn)購入。
冬季は施設の開館時間が短いのでちょっと損した気分。
City Wall、オススメ。
海も屋根も近くてかなり楽しい。

旅行中にアップした記事「ドブロブニク」(写真あり)

 

バルカン半島で行きたかったのはドブロブニクだけだったので、この後どうしようか悩む。
モンテネグロのコトルに行こうか、ボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルに行こうか。
どちらもドブロブニクからバスで3時間くらい。
本当にどちらでもよかった。
初めて行く地に胸が高まるどころか、これからまだ3週間以上も時間を潰さねばならないのかと少し気が重かった。
最初の予定では、ドブロブニクからイタリアのヴェニスに行くついでにちょっこと寄り道をする程度で、ヴェニスから南仏を通ってバルセロナまでを1ヶ月ほどかけてのんびり巡るはずだったのだ。

 

旧ユーゴにいったい何があるというんですか?

今年3月から4月にかけての35日間、バルカン半島の6カ国を旅してきました。(カミーノ絵日記あきた)
バルカン半島はギリシャのあるあたりです。(集中力きれた)
ユーゴスラビアがあったところです。(面倒くさくなった)
全く関心のなかったところを日程調整のためだけに不本意に1ヶ月旅行するという今までにない経験。(でも、ここまでやったら毎日更新ストップさせたくない)
旅行するにあたって情報収集する際、西欧諸国に比べて新鮮な情報が少なかったので、記録を残しておきたいと思います。(気分転換したい)
私と同じようにシェンゲン協定内容確認不足で、仕方なくこの辺を旅行するはめになったおまぬけな旅人の役に少しでも立てれば嬉しいです。(いるよね?)

旅行期間:2016/3/22〜4/25
訪問国:スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、コソボ、モンテネグロ

 

バルカン

 

訪問したのは、旧ユーゴスラビアのマケドニアを除く6カ国・・・ついでに、マケドニアも行っておけばよかった。

というのも7カ国あわせても面積は日本の7割弱。
充分時間はあった。

スクリーンショット 2016-08-26 8.56.02

旧ユーゴのなかで唯一スロベニアはシェンゲンに入っている。
なので通貨はもちろんユーロ。
コソボ、モンテネグロがユーロなのは、元々ドイツマルクを使用していたその流れらしい。
情勢不安定地域の小さい国は、自国通貨を持つよりどこか安定した国の通貨を流通させるほうがメリットがあるのかな。

ものすごく、ものすごく、ざっくり、ちょっと書くのがコワイくらいざっくり書くと、

ユーゴスラビア(1918ー2006)とは、

昔からトルコやらドイツやらイタリアやらに侵略、支配されたり、戦争繰り返したりしているところ、このままじゃあかん、南スラブ人でまとまろうぜ!ということで、セルビア、クロアチアなど6つの共和国とコソボなど2つの自治州で1つの国を作った。
「七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家」といわれるようにとても多様で複雑な国。
そんな中、力をにぎっていたのはセルビア人、セルビア人優遇社会に他の民族はもちろん不満。
カリスマ大統領チトーが統制をとっていたのだけど、彼が死んだら不満爆発。
ユーゴスラビア紛争(1991−2000)のち、各国独立してバラバラに。
1990年と2000年の各国の人口比とを比べて見ると、死者、国外逃亡者の多いことがうかがえる。
民族浄化のための大量虐殺、集団レイプ収容所など、吐き気がするほど残酷なことが行われている。

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なんか夏休みの自由研究をやっている気分だな。

紛争やっていたのが15年前と最近のこともあり、正直、なんだか物騒なイメージを持っていた。
実際に行って見ると、思っていたより観光整備されているところも多く、日常の生活を取り戻しているように見えた。
けど、被害の大きかったボスニア・ヘルツェゴビナなんかは特に、建物に残った銃弾跡や廃墟も多く、内戦の跡が痛々しかった。

 

ユーゴ観光

(オレンジ文字は、今回行ったところ)

 

参照)wikipedia
1990年,2000年の人口:google(主なソース:世界銀行)